生花の手入れで社会の縮図を見た

旦那さんが友人の結婚式に行き、結婚式で使用された生花を持って帰ってきた。
結婚式で高砂やゲストテーブルなどに飾っていた生花を帰り際にゲストに配るのは結婚式ではよくあることだ。

家に帰ってきたときに、旦那さんは特に何も言わずにその生花をリビングのテーブルに置いた。私はお花をそのままにしておく訳にはいかないので茎を水切りし花瓶に生けておいた。

それから私は一日~二日おきに花瓶の水を変えて、茎を水切りした。
旦那さんは私が水切りしていることを知ってか知らずか、特に何も言わなかった。
お花はもちろん美しく、生活を彩ってくれた。

しかし私の心はお花のように美しくはなかった。
私は生花の手入れをしながら、「なんで私が毎日手入れをしているの?」と苛立っていた。よくわからない仕事を押し付けられて対価も無いのにやればやるほどこちらが損するような、そんな仕事。
最近仕事でも似たような経験があり、これまで誰も見て見ぬふりしてきたけど
私が気づいてしまいちょっとした面倒を引き受けないといけなくなった、という案件だ。

やるからには、誰かに感謝されたい。対価が欲しい。
対価なんて無くても、私は私自身のためにやるんだ、という強い意志が
私にはまだ無い。これから自分の中に出てくるのだろうか?

そんなことを、生花の水切りしながら思った。